荒神樣は火の神・竈の神として臺所などでお祀りされいる神樣。神道だけでなく佛敎や陰陽道、他・民閒信仰の習合となっているので祀る神は違えどそれぞれ純粹に、神道である、佛敎である、陰陽道である、他等であるとはいえない。また、地域によって全く異なる。
ここでは臺所など室内で火を觸る場所とは關係ない地荒神には觸れない。
神道であれば「竈三柱神」「竈三神」、竈の神の「奧津日子神」、「奧津比賣命」と火の神の「軻遇突智=火產靈」の三柱を祀る。
神達には和魂・荒魂という側面があるが、臺所でいえば竈の神や火の神の荒魂が火事や事故のような形で祟ったり害をなすのを畏れ、鎭まっていただくことを願うのと同時に、別の側面(和魂側)である惠みの恩惠に與ろうとして祀るようになったと考えられている。
佛敎であれば、(火は淸淨と考えられていたので)不淨を取り除く「火の神」の「三寶荒神」を祀る。三つの寶とは「佛」「法」「僧」で、何故か「火」の要素とは結びつかない。明王風で髮を逆立て怒った怖い顏(忿怒の相)のお姿とされるが正體は不明。地域によっては不動明王であるとする。
これに修驗道が習合すると「如來荒神」「麁亂荒神」「忿怒荒神」などになることもあるよう。
陰陽道であれば土の神で竈の神の「土公神(どくじん・どくうさま)」を祀る。竈を綺麗にしていないと祟りやすいとされる。四季によって移られる神で、春は竈にいらっしゃるということから春の臺所リフォームは嚴禁である。
神道と佛敎で習合した地域によっては神道なのに三寶荒神であったり、荒神松(榊と松)をお飾りする場合がある。
いずれにしても現在は荒神樣の御札の形でいただけるので臺所などの壁際の高い場所に荒神棚や御札立てなどを利用して御札をお祀りする。本來は竈やコンロなど火の近くの上の方であろうが、煙や油による汚や熱の影響が少なくなる程度には離した場所が良いだろう。神道式で注連繩や紙垂を飾るのであればかなり火から遠ざけないと當然ながら危險である。荒神樣に燃え移って火事になったでは話にならない。
荒神樣の祀り方は實際のところ荒神棚やお札立てなどを使わない家庭も多いようだが、御札だけをお祀りするのであれば、先に白い紙を壁や柱に貼り、その上に御札を貼る。先の紙の側に御札を畱めるための一工夫を加えれば、御札にテープを貼ったり鋲を刺して畱めるという失禮も防ぐことができるだろう。
神道式で荒神棚などを使ってお祀りする場合はお供えは神棚と基本的に同じ。お供えは神人共食なので下げた後は捨てないで食べる(使う)。そこで、米は炊く前(硏ぐ前)にお供えし神拜詞をあげたらすぐに下ろして炊く、鹽も同樣に惣菜を作る前にお供えし、二拜二拍手一拜または神拜詞をあげたらすぐに下ろして調理で使う。神棚へのお供えもある筈なので、鹽一摘み程度にしておけば神棚・荒神棚の兩方のお供え分を下げても餘らないだろう。魚なども同樣に調理前に神棚・荒神棚の兩方にお供えしてすぐに下ろして使う。お供えしてすぐに下ろすのであるから蟲や埃も付かず生物も傷まないので、お下がりをいただくことを躊躇わなくて濟む。