古事記 下巻 第二十五代 武烈天皇

小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみこと坐長谷之列木宮はつせのなみきのみやにまし治天下捌歲也あめのしたをおさめたまふことやとせなり此天皇このすめらみこと旡太子たいしなしゆへに爲御子代みこしろになして定小長谷部也おはつせべにさだむるなり御陵在片岡之石坏岡也みささぎかたおかのいわつきのおかにあり
天皇既崩すめらみことすでにかむあがり無可知日續之王ひつぎのみこをしらすべきなしゆへに品太天皇五世之孫ほむだのすめらみことのいつつぎのみこ袁本杼命をほどのみこと自近淡海國ちかつあふみのくにより令上坐而あがりまさしめて合於手白髮命たしらかのみことにあはせ授奉天下也あめのしたをさずけまつりき

小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみこと、第二十五代武烈天皇ぶれつてんのう長谷之列木宮はつせのなみきのみや奈良縣櫻井市で八年閒天下を治められました。
この天皇には皇太子はおられませんでした。
そこで、御子代みこしろとして小長谷部おはつせべを定められました。現在の宮内廳のようなものの武烈天皇專用の團體(部民べのたみ)。
御陵は片岡之石坏岡かたおかのいわつきのおか奈良縣香芝市にございます。
天皇が崩御されたにもかかわらず皇位を繼承する御子がいらっしゃらなかったので 品太天皇ほむだのすめらみこと應神天皇、の五世の子孫にあたる袁本杼命をほどのみこと近淡海國ちかつあふみのくに現在の滋賀縣から上京していただき、仁賢天皇皇女の手白髮命たしらかのみことと結婚することで天下を受け繼いでいただきました。

傍丘磐坏丘北陵かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ