古事記 下巻 第二十四代 仁賢天皇

意冨祁命おほけのみこと坐石上廣高宮いそのかみのひろたかのみやにまし治天下也あめのしたをおさめたまふなり天皇すめらみこと娶大長谷若建天皇之御子おおはつせのわかたけるのすめらみことのみこ春日大郎女かすがのおおいらつめをめあはせ生御子あれましみこ高木郎女たかぎのいらつめつぎに財郎女たからのいらつめつぎに久須毘郎女くすびのいらつめつぎに手白髮郎女たしらかのいらつめつぎに小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみことつぎに眞若王まわかのみこ又娶丸邇日爪臣之女またわにのひつめのおみのむすめ糠若子郎女ぬかのわくごのいらつめをめあはせ生御子あれましみこ春日山田郎女かすがのおだのいらつめ此天皇之御子このすめらみことのみこ幷七柱あはせてななはしら此之中このなかの小長谷若雀命者おはつせのわかさざきのみことは治天下也あめのしたをおさめたまふなり

意冨祁命おほけのみこと、第二十四代仁賢天皇にんけんてんのう石上廣高宮いそのかみのひろたかのみや現在の奈良縣天理市で天下を治められました。
仁賢天皇は大長谷若建天皇おおはつせのわかたけるのすめらみことの御子の、 春日大郞女かすがのおおいらつめを娶られ、生まれた御子は 高木郞女たかぎのいらつめ、 次に財郞女たからのいらつめ、 次に久須毗郞女くすびのいらつめ、 次に手白髮郞女たしらかのいらつめ、 次に小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみこと、 次に眞若王まわかのみこです。 また、丸邇日爪臣またわにのひつめのおみの娘の 糠若子郞女ぬかのわくごのいらつめを娶られ、 生まれた御子は、春日山田郞女かすがのおだのいらつめです。 仁賢天皇の御子は合わせて七柱です。
この中の、小長谷若雀命おはつせのわかさざきのみこと武烈天皇は、仁賢天皇の次に天下を治められました。

仁賢天皇の陵は古事記には書かれていません。ヒントが無いため長らく所在不明となっていましたが、江戶の幕末に現在のボケ山古墳に治定しました。

埴生坂本陵はにゅうのさかもとのみささぎ(ボケやま古墳)