意冨祁命、
坐石上廣高宮、
治天下也。
天皇、
娶大長谷若建天皇之御子、
春日大郎女、
生御子、
高木郎女、
次、財郎女、
次、久須毘郎女、
次、手白髮郎女、
次、小長谷若雀命、
次、眞若王。
又娶丸邇日爪臣之女、
糠若子郎女、
生御子、
春日山田郎女。
此天皇之御子、
幷七柱。
此之中、
小長谷若雀命者、
治天下也。
意冨祁命、第二十四代仁賢天皇は
石上廣高宮現在の奈良縣天理市で天下を治められました。
仁賢天皇は大長谷若建天皇の御子の、
春日大郞女を娶られ、生まれた御子は
高木郞女、
次に財郞女、
次に久須毗郞女、
次に手白髮郞女、
次に小長谷若雀命、
次に眞若王です。
また、丸邇日爪臣の娘の
糠若子郞女を娶られ、
生まれた御子は、春日山田郞女です。
仁賢天皇の御子は合わせて七柱です。
この中の、小長谷若雀命武烈天皇は、仁賢天皇の次に天下を治められました。
仁賢天皇の陵は古事記には書かれていません。ヒントが無いため長らく所在不明となっていましたが、江戶の幕末に現在のボケ山古墳に治定しました。
埴生坂本陵(ボケ山古墳)