若帶日子天皇、
坐近淡海之志賀高宂穗宮、
治天下也。
此天皇、
娶穗積臣等之祖
建忍山垂根之女、
名弟財郎女、
生御子、
和訶奴氣王。
一柱
故、
建內宿禰爲大臣、
定賜大國小國之國造、
亦定賜國國之堺、
及大縣小縣之縣主也。
天皇御年、 玖拾伍歲。 御陵在沙紀之多他那美也。
天皇御年、 玖拾伍歲。 御陵在沙紀之多他那美也。
若帶日子天皇、第十三代 成務天皇は
近淡海之志賀高宂穗宮現在の滋賀縣大津市で天下を治められました。
この天皇は穗積臣などの祖先で、
建忍山垂根の娘の
弟財郞女を娶り、生まれた御子は
和訶奴氣王の一柱です。
そこで、建內宿禰を大臣にして、
日本國内の國々の國造をお定めになり、
また、日本國内の各國の國境と各縣の縣主をお定めになりました。
天皇は九十五歲で崩御されました。
御陵は沙紀之多他那美にございます。
成務天皇は景行天皇の第四子で、倭建命とは異母兄弟。
皇太子になる可能性のあった一人息子である和訶奴氣王は記錄がなく病死?、甥であり倭建命の第二子の帶中日子天皇を皇太子に立てました。
國と縣の關係は同列なのか縣が國の一部であるのかよくわかりませんが、縣の方が小さそうです。
狹城盾列池後陵 (佐紀石塚山古墳)成務天皇陵