古事記 中巻 第五代 孝昭天皇

御眞津日子訶惠志泥命みまつひこかえしねのみこと坐葛城掖上宮かつらぎのわきがみのみやにまし治天下也あめのしたをおさめたまふなり此天皇このすめらみこと娶尾張連之祖おわりのむらじのそ 奧津余曾之妹おきつよそのいも名余曾多本毘賣命よそたほびひめのみことをめあはし生御子あれましみこ天押帶日子命あめおしたらしひこのみことつぎに大倭帶日子國押人命おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと二柱ふたはしら ゆへに弟帶日子國忍人命者おとのたらしひこくにおしひとのみことは治天下也あめのしたをおさめたまふなり兄天押帶日子命者あにのあめおしたらしひこのみことは春日臣かすがのおみ大宅臣おおやけのおみ粟田臣あわたのおみ小野臣おののおみ柿本臣かきのもとのおみ壹比韋臣いちひいのおみ大坂臣おおさかのおみ阿那臣あなのおみ多紀臣たきのおみ羽栗臣はぐりのおみ知多臣ちたのおみ牟邪臣むざのおみ都怒山臣つのやまのおみ伊勢飯高君いせのいいたかのきみ壹師君いちしのきみ近淡海國造之祖也ちかつあふみのくにのみやつこのおやなり 天皇御年すめらみことおんとしおんとし玖拾參歲ここのそちあまりみつ御陵在掖上博多山上也みささぎわきがみのはかたやまのへにあるなり

御眞津日子訶惠志泥命みまつひこかえしねのみこと第五代 孝昭天皇こうしょうてんのう葛城掖上宮かつらぎのわきがみのみやで天下を治められました。
この天皇は、尾張連おわりのむらじの祖先で奧津餘曾おきつよその姊または妹である名餘曾多本毗賣命よそたほびひめのみことを娶られて、誕生された御子は天押帶日子命あめおしたらしひこのみこと、次に大倭帶日子國押人命おおやまとたらしひこくにおしひとのみことの二柱です。
そして、弟の帶日子國忍人命たらしひこくにおしひとのみこと孝昭天皇の次に天下を治められました。孝安天皇のこと
兄の天押帶日子命は春日臣かすがのおみ大和國添上郡春日大宅臣おおやけのおみ粟田臣あわたのおみ山城國愛宕郡粟田鄕小野臣おののおみ近江國滋賀郡小野村、山城國愛宕郡小野鄕柿本臣かきのもとのおみ壹比韋臣いちひいのおみ大坂臣おおさかのおみ阿那臣あなのおみ多紀臣たきのおみ羽栗臣はぐりのおみ知多臣ちたのおみ牟邪臣むざのおみ都怒山臣つのやまのおみ伊勢飯高君いせのいいたかのきみ壹師君いちしのきみ近淡海國造ちかつあふみのくにのみやつこ琵琶湖西岸の祖先です。
孝昭天皇は九十三歲で崩御されました。 御陵ごりょう掖上博多山上わきがみのはかたやまのへ奈良縣御所市三室と比定にございます。

掖上博多山上陵わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ   孝昭天皇陵