古事記 中巻 第三代 安寧天皇

師木津日子玉手見命しきちひこたまてひこのみこと坐片鹽浮穴宮かたしおのうきあなのみやにまして治天下也あめのしたをおさめたまふなり此天皇このすめらみこと娶河俣毘賣之兄かはまたびめのせ縣主殿延之女あがたぬしはえのむすめ阿久斗比賣あくとびめをめあはし生御子あれましみこ常根津日子伊呂泥命とこねつひこいろねのみこと 自伊下三字以音いよりしもみじこえをもちふる次大倭日子鉏友命つぎにおおやまとひこすきとものみこと次師木津日子命つぎにしきつひこのみこと此天皇之御子等このすめらみことのみこら幷三柱之中あはせてみはしらのうち大倭日子鉏友命者おおやまとひこすきとものみことは治天下あめのしたをおさめたまふ次師木津日子命之子つぎにしきつひこのみことのこ二王坐ふたみこまし一子孫者ひとりのすえもの伊賀須知之稻置いがのすちのいなき那婆理之稻置なばりのいなき三野之稻置之祖みののすえぎのおやなり
一子ひとり和知都美命者わちつみのみことは坐淡道之御井宮あはぢのみいのみやにまし故此王有二女かれこのおおきみふたりのむすめあり兄名蠅伊呂泥いろねのなははへいろね亦名意冨夜麻登久邇阿禮比賣命またのなはおおやまとくにあれびめのみこと弟名蠅伊呂杼也いろどのなははへてろどなり天皇御年すめらみことおんとし肆拾玖歲よそちあまりここのとせ御陵在畝火山之美富登也みささぎうねびやまのみほとにあるなり

師木津日子玉手見命しきちひこたまてひこのみこと第三代 安寧天皇あんねいてんのう片鹽浮宂宮かたしおのうきあなのみや奈良縣大和高田市片鹽で天下を治められました。 この天皇は母親である 娶河俣毗賣かわまたひめのの兄の縣主波延あがたぬしはえの娘の阿久斗比賣あくとひめを娶られて、お生まれになった御子は 常根津日子伊呂泥命とこねつひこいろねのみこと、次に大倭日子鉏友命おおやまとひこすきとものみこと、 次に師木津日子命しきつひこのみことでございます。この天皇の御子の合わせて三柱のなかで、大倭日子鉏友命は天下を治められました。第四代 懿德天皇いとくてんのうのこと 次に次師木津日子命には二人の御子がいらっしゃり、一人の子孫は伊賀いがの國の須知すち稻置いなき名張なばり稻置いなき三野みの稻置いなきの祖先です。 もう一人の和知都美命わちつみのみことは淡路の三井の宮にいらっしゃり、 この王にはお二方の娘がいらっしゃって、姊の名前が蠅伊呂泥はへいろね またの名を意富夜麻登久邇阿禮比賣命おおやまとくにあれびめのみこと孝靈天皇の妃になられる方です、妹の名前は蠅伊呂杼はへいろとです。
安寧天皇は四十九歲で崩御されました。御陵ごりょう畝火山うねびやま美富登みほと奈良縣橿原市吉田町で畝傍山の西南西側に比定にございます。

常根津日子伊呂泥命とこねつひこいろねのみことは日本書紀では息石耳命おきそみみのみこと
「いろね」は姊のこと。「いろと」は妹のこと。そうすると蠅伊呂泥と蠅伊呂杼ハエ姊さんとハエ妹さんという紹介になる。

畝傍山西南御陰井上陵うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ   安寧天皇陵