古事記 上巻 大国主(三)

此八千矛神このやちほこのかみ將婚高志國之沼河比賣まさにこしこくのぬなかはひめとよばいしに幸行之時みゆきしとき到其沼河比賣之家そのぬまかはびめのいへにいたり歌曰うたひていはく

夜知富許能やちほこの  迦微能美許登波かみのみことは  夜斯麻久爾やしまくに  都麻麻岐迦泥弖つままきかねて  登富登富斯とほとほし  故志能久邇邇こしのくにに  佐加志賣遠さかしめを  阿理登岐加志弖ありときかして  久波志賣遠くはしめを  阿理登伎許志弖ありときこして  佐用婆比爾さよばひに  阿理多多斯ありたたし  用婆比邇よばひに  阿理加用婆勢ありかよばせ  多知賀遠母たちがをも  伊麻陀登加受弖いまだとかずて  淤須比遠母おすひをも  伊麻陀登加泥婆いまだとかねば  遠登賣能をとめの  那須夜伊多斗遠なすやいたとを  淤曾夫良比おそふらひ  和何多多勢禮婆わかたたせれば  比許豆良比ひこづらひ  和何多多勢禮婆わかたたせれば  阿遠夜麻邇あをやまに  奴延波那伎ぬえはなき  佐怒都登理さぬつとり  岐藝斯波登與牟きげしはとよむ  爾波都登理にはつとり  迦祁波那久かけはなく  宇禮多久母うれたくも  那久那留登理加なくなるとりか  許能登理母このとりも  宇知夜米許世泥うちやめこせね  伊斯多布夜いしたふや  阿麻波勢豆加比あまはせづかひ  許登能ことの  加多理其登母かたりそとも  許遠婆こをば

爾其沼河日賣それにぬなかはひめ未開戸とをあけず自内歌曰うちよりうたひていはく

夜知富許能やちほこの  迦微能美許等かみのみこと  怒延久佐能ぬえくさの  賣邇志阿禮婆  和何許許呂わかこころ  宇良須能登理叙うらすのとりじ  伊麻許曾婆いまこそは  和杼理邇阿良米わぞりにあらめ  能知波のちは  那杼理爾阿良牟遠なぞりにあらむを  伊能知波いのちは  那志勢多麻比曾なしせたまひそ  伊斯多布夜いしたふや  阿麻波世豆迦比あまはせづかひ  許登能ことの  加多理碁登母かたりごとも  許遠婆こをば
阿遠夜麻邇あおやまに  比賀迦久良婆ひがかくらば  奴婆多麻能ぬばたまの  用波伊傳那牟よはいでなむ  阿佐比能あさひの  惠美佐加延岐弖えみさかへきて  多久豆怒能たくづどの  斯路岐多陀牟岐しろきただむき  阿和由岐能あはゆきの  和加夜流牟泥遠わかやるむねを  曾陀多岐そだたき  多多岐麻那賀理たたきまながり  麻多麻傳またまで  多麻傳佐斯麻岐たまでさしまき  毛毛那賀爾ももながに  伊波那佐牟遠いはなさむを  阿夜爾あやに  那古斐支許志なこひしきし  夜知富許能やちほこの  迦微能美許登かびのみこと  許登能ことの  迦多理碁登母かたりごとも  許遠婆こをば

ゆへに其夜者そのよるは不合而あわずに明日夜あすよる爲御合也おあいになるなり
又其神之嫡后またそのかみのおほぎさき須勢理毘賣命すせりびめのみこと甚爲嫉妬いたくしっとなし故其日子遲神ゆへにそのひこちがみ和備弖わびて三字以音みつじこへをもちふる自出雲將上坐倭國而いずもよりやまとのくににあがりまし束裝立時そくそうたてしとき片御手者かたみては繋御馬之鞍みうまのくらにつなぎ片御足かたみあし蹈入其御鐙而そのあぶみにふみいれ歌曰うたひていはく
奴婆多麻能ぬばたまの  久路岐美祁斯遠くろきみけしを  麻都夫佐爾まつぶさに  登理與曾比とりよそひ  淤岐都登理おきつとり  牟那美流登岐むなみるとき  波多多藝母はたたぎも  許禮婆布佐波受これはふさはず  幣都那美へつなみ  曾邇奴岐宇弖そにぬぎうて  蘇邇杼理能そにどりの  阿遠岐美祁斯遠あをきみけしを  麻都夫佐邇まつぶさに  登理與曾比とりよそひ  於岐都登理おきつどり  牟那美流登岐むなみるとき  波多多藝母はたたぎも  許母布佐波受こもふさはず  幣都那美へつなみに  曾邇奴棄宇弖そにぬきうて  夜麻賀多爾やまがたに  麻岐斯まきし  阿多泥都岐あたねつき  曾米紀賀斯流邇そめきがしるに  斯米許呂母遠しめころもを  麻都夫佐邇まつぶさに  登理與曾比とりよそひ  淤岐都登理おきつとり  牟那美流登岐むなみるとき  波多多藝母はたたぎも  許斯與呂志こしよろし  伊刀古夜能いとこやの  伊毛能美許等いものみこと  牟良登理能むらとりの  和賀牟禮伊那婆わがむれいなば  比氣登理能ひけとりの  和賀比氣伊那婆わがひけいなば  那迦士登波なかじとは  那波伊布登母なはいふとも  夜麻登能やまとの  比登母登須須岐ひともとすすき  宇那加夫斯うなかぶし  那賀那加佐麻久ながなかさまく  阿佐阿米能疑理邇あさあめのぎりに  多多牟叙たたむぞ  和加久佐能わかくさの  都麻能美許登つまのみこと  許登能ことの  加多理碁登母かたりごとも  許遠婆こをば

爾其后すなはちそのきさき取大御酒坏おほみさかづきとらして立依指擧而歌曰たちよりさしあげてうたひていはく

夜知富許能やちほこの  加微能美許登夜かみのみことや  阿賀淤富久邇奴斯あがおほくにぬし  那許曾波なこそは  遠邇伊麻世婆をにいませば  宇知微流うちみる  斯麻能佐岐耶岐しまのさきやき  加岐微流かきみる  伊蘇能佐岐淤知受いそのさきおちず  和加久佐能わかくさの  都麻母多勢良米つまもたせらめ  阿波母與あはもよ  賣邇斯阿禮婆めにしあれば  那遠岐弖なをきて  遠波那志をはなし  那遠岐弖なをきて  都麻波那斯つまはなし  阿夜加岐能あやかきの  布波夜賀斯多爾ふはやがしたに  牟斯夫須麻むしぶすま  爾古夜賀斯多爾にこやがしたに  多久夫須麻たくぶすま  佐夜具賀斯多爾さやぐがしたに  阿和由岐能あわゆきの  和加夜流牟泥遠わかやるむねを  多久豆怒能たくづどの  斯路岐多陀牟岐しろきただむき  曾陀多岐そだたき  多多岐麻那賀理たたきまながり  麻多麻傳またまで  多麻傳佐斯麻岐たまでさしまき  毛毛那賀邇ももながに  伊遠斯那世いをしなせ  登與美岐とよみき  多弖麻都良世たてまつらせ

如此歌このうたのごとく卽爲宇伎由比すなはちうきゆひなし四字以音よつじこへをもちふる而宇那賀氣理弖うながけりて六字以音むつじこへをもちひる至今鎭坐也いまにいたりしずまりますなり此謂之神語也これいはくこれかみかたりなり

この八千矛やちほこの大國主のことは、高志こし北陸の「越」のことであるとされる沼河比賣ぬなかはひめと結婚するために高志までお出ましになり、その沼河比賣の家に到著したときに歌われました。


八千矛やちほこの 神のみことは 八洲国やしまくに 妻求つままぎかねて 遠々とほとほし 高志こしの国に さかを りとかして くはを りとこして さよばひに ありたし よばひに ありかばせ 太刀たちも いまかずて おすひをも いまかねば 乙女をとめすや 板戸いたとを そぶらひ たせれば こづらひ たせれば 青山あをやまに ぬえきぬ 狭野つぬとり 雉子きぎしとよむ にはとり かけく うれたくも くなるとりか このとりも うちめこせね いしたふや 天馳あまはつかひ ことかたり 外面此そともこをば

(大國主である私)八千矛やちほこの神は日本中から妻を探したところ越の國に賢く美しい女性がいると聞き、何度も求婚し承諾を求め、刀の紐もかさね衣褌きぬはかま垂領すいりょうも解かずに、乙女が寢ているかと部屋の板戶を押そうとして引こうとしてそう出來ずに私が立っていると、夜が明けて靑く繁る山にぬえが鳴く。野鳥のキジが騷ぎ、庭のニワトリが鳴く。鳴く鳥がいまいましい。このように鳥が鳴かないように天に使いを出して慾しい。言葉で表します。外でこれを。

それに(たいして)、沼河比賣ぬなかはひめは戶を開けず部屋の中から歌ってこう言いました。


八千矛やちほこの かみみこと 萎草ぬえくさの にしあれば こころ 浦洲うらすとりぞ いまこそば 吾鳥わどりにあらめ のちは 汝鳥などりにあらむを いのちは なたまひそ いしたふや 天馳あまは使づかひ ことかたごとも をば  青山あをやまに かくらば 射干玉ぬばたまの でなむ 朝日あさひの さかて 栲綱たくづのしろただむき 沫雪あはゆきの わかやるむねを  素手抱そだたき 手抱たたきまながり 真玉手玉手またまでたまで き 股長ももながにに さむをあやに 汝恋なこひしきし 八千矛やちほこの かみみこと ことかたごとも をば

八千矛やちほこの神のみことに申します。私はなよなよととした女なので、心は海邊うみべの州にいる鳥のように全く落ち著きません。今は私の鳥ですが、後にはあなたの鳥になるので、どうか鳥を殺さないで下さい。天の使いに語ります。これを。 靑く繁る山に日が隱れれば、ぬばたまの實のように眞っ暗な夜となり、朝日が微笑むように昇り榮えれば、こうぞで作った綱のように白い腕、淡雪あわゆきのように柔らかく若い私の胷を素手で抱いて、見つめ合って、玉のようなあなたの手と私の手で腕枕して、足を伸ばして一緖に寢ます。不思議にあなたのことを戀しく思います。八千矛の神の命に言葉で語ります。これを。

このように言われたので、その夜は會わずに翌日の夜においになりました。會う=結婚したということ。

また、その正妻であるきさき意味須勢理毗賣命すせりびめはとても嫉妬されたので、日子遲ひこちの神日子遲神=八千矛の神=大宂牟遲神=大國主のことはこれをわび謝罪の「詫」ではなく、「侘」はうんざりしての意味出雲からやまとの國奈良縣に進出しようと出立しゅったつする際に、服裝を整え、片手で馬の鞍を掴み、足をあぶみに入れて歌われました。


射干玉ぬばたまの  くろ御衣みけしを  真具まつぶさに  よそほひ  おきとり  胸見むなみとき はたたぎも  れは相応ふさはず  波磯なみそに  て  鴗鳥そにどりの  あを御衣みけしを  真具まつぶさに  よそひ  おきとり  胸見むなみとき はたたぎも  相応ふさはず  波磯なみそに  て  山県やまがたきし  あたねき  めきがしるに  ころもを  真具まつぶさに  よそひ  おきとり  胸見むなみとき はたたぎも  よろし  愛子いとこやの  いもみこと  群鳥むらとりの  群往むれいなば  とりの  なば  かじとは  ふとも  やまとの 一本薄ひともとすすき  頂傾うなかぶし  かさまく  朝雨あさあめ野霧のぎりたむぞ 若草わかくさの  つまみこと  ことかたごとも  これをば

ぬばたまのように黑い衣裝をしっかり準備しました。沖の鳥が自分の(胷にくちばしを突っ込むように)胷を見て羽を輕く廣げるように(袖を持って腕を廣げて)身繕いしましたが(この衣裝は)好みに合いません。濱邊に寄せた波が引くように著物を脫ぎ捨てて、カワセミのように靑い衣裝をしっかり準備しました。同じように沖の鳥が胷を見て羽を廣げるようにして身繕いしましたが、これも同樣に氣に入らないので、磯の波が引くように脫ぎ捨てて、山の畑に種を蒔いて育てた染め草をいて、草木染めの汁で染めた衣裝を同じように沖の鳥が胷を見て羽を廣げるようにして身繕いしたところ、これはとても良いです。愛おしい妻のみことよ、私が鳥の羣れのよう先頭に立ってどこかに行ってしまっても泣かないとあなたは言うだろうが、 やまと國でススキが一本雨露に濡れて穗先が下がるとあなたが泣くのを思い、朝の雨、霧の野に立つでしょう。若草のような妻のみことに。この言葉を送ります。

するとそのきさきである須勢理毗賣命は酒盃を取って立ち上がり大國主にそのお酒を差し上げて歌われました。


八千矛やちほこの  かみみことや  大国主おほくにぬし  こそは  いませば  しまの  さき来掻きかる  いそ埼落さきおちず  若草わかくさの  妻持つまもたせらめ  はもよ  にしあれば  汝招なをきて  つまし  汝招なをきて  し  綾垣あやかきの  ふはやがしたに  苧衾むしぶすま  にこやがしたに  栲衾たくぶすま  さやぐしたに  沫雪あわゆきの  わかやるむねを  栲綱たくづのの  しろただむき  素手抱そだたき  手抱たたきまながり  真玉手玉手またまでたまで  き  股長ももながに  爲寝しなせ  豊御酒とよみき  たてまつらせ

あなたは八千矛やちほこの神のみことではなく、私の大國主おおくにぬしです。他所の女の呼び方が氣に入らないという意味か? あなたこそは私の夫であって、あなたはこの先に見える島や岬を巡り若草のような妻をお持ちになるでしょう。私は女なのであなたを招いて夫にし、あなたを招いて妻になります。 太絲で織った絹布の幕がゆらゆら搖れる下で、苧麻ちょま(からむし)で作ったの布團の中で、コウゾの纖維で作った布團の中で、 淡雪のように柔らかい若い私の胷を、コウゾで作った綱のように白い私の腕を素手で抱きしめて、見つめ合って、玉のように美しいあなたと私の手をお互いに腕枕にして足を伸ばしてゆっくり寢てください。そして、お酒を召し上がってください。


まとめると、「今後の浮氣は氣に入らなくても咎めないから、ときどき家に歸ってきて仲良くしてね」

この歌のように盞結うきゆ固く約束しし、うながけりて=傾けて≒もたれかかって≒よりそって仲睦まじく出雲大社に鎭座して現在に至ります。
この謂れは神の語りです。

この頁では「まながる」を「見つめ合って」という意味にしましたが、目を見合わせるとは別に「手をさし交わして抱く」という意味もあり、ここではどちらも當てはまりそうです。