伊邪那美の死後、伊邪那伎が黃泉の國(死者の國)にイザナミを迎えに行って逃げ歸ってきたのは前囘に書いた。地上に歸ってきたイザナギは穢れを落とすために現在の島根縣から宮崎縣まで移動して川(または海)に入って禊を行う。なぜ禊のために島根からはかなり遠方の宮崎まで移動しなければならなかったのかという理由は書かれていない。
この穢れを落とす場面が神社などで神主が讀む禊祓詞の中に「つくしのーひむかのーたちばなのーおどのーあわぎーはらにー」というくだり。この場面を知らないで「つくしのーひむかのー」という聲だけを聞くと全く何を言っているのかわからないが大昔の宮崎縣の川(または海)で凄い禊が行われたのだと知っていれば神主の聲を言葉として理解できて情景を思い描くことができる。
さて、世紀の大禊が行われる中で次々に神が生まれるのだが、中でも多くの日本人がもっとも重要な神として日頃お祀りする天照大神や須佐之男などの超大物の神が生まれている。
そういうわけでアマテラスやスサノオはイザナミが產んだわけではなく、母親はおらず父親のイザナギのみの神。しかし、イザナミによる穢れを元に生まれているのでイザナミが母親ということにもなる。
では、伊邪那岐が黃泉の國から戾ったところから。
是以、
伊邪那伎大神詔
「吾者到於伊那志許米上志許米岐
此九字以音
穢國而在祁理
此二字以音。
故吾者爲御身之禊」
而、
到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐
此三字以音
原而禊祓也。
故於投棄御杖所成神名、
衝立船戸神。
次於投棄御帶所成神名、
道之長乳齒神。
次於投棄御囊所成神名、
時置師神。
次於投棄御衣所成神名、
和豆良比能宇斯能神
此神名以音。
次於投棄御褌所成神名
道俣神。
次於投棄御冠所成神名
飽咋之宇斯能神
自宇以下三字以音。
次於投棄左御手之手纒所成神名、
奧疎神
訓奥云淤伎、下效此
訓疎云奢加留、下效此。
次奧津那藝佐毘古神
自那以下五字以音下效此。
次奧津甲斐辨羅神
自甲以下四字以音、下效此。
次於投棄右御手之手纒所成神名、
邊疎神。
次邊津那藝佐毘古神。
次邊津甲斐辨羅神。
右件自船戸神以下
邊津甲斐辨羅神以前
十二神者、
因脱著身之物
所生神也。
於是詔之
「上瀬者瀬速、
下瀬者瀬弱。」
而、
初於中瀬墮迦豆伎而滌時、
所成坐神名、
八十禍津日神
訓禍云摩賀、下效此。
次大禍津日神。
此二神者、
所到其穢繁國之時、
因汚垢而所成神之者也。
次爲直其禍而所成神名、
神直毘神
毘字以音、下效此、
次大直毘神、
次伊豆能賣神
幷三神也
伊以下四字以音。
次於水底滌時
所成神名、
底津綿上津見神、
次底筒之男命。
於中滌時
所成神名、
中津綿上津見神、
次中筒之男命。
於水上滌時
所成神名、
上津綿上津見神
訓上云宇閇、
次上筒之男命。
此三柱綿津見神者、
阿曇連等之祖神以伊都久神也
伊以下三字以音、下效此。
故、阿曇連等者、
其綿津見神之子、
宇都志日金拆命之子孫也
宇都志三字以音。
其底筒之男命、
中筒之男命、
上筒之男命三柱神者、
墨江之三前大神也。
於是、
洗左御目時
所成神名、
天照大御神。
次洗右御目時
所成神名、
月讀命。
次洗御鼻時
所成神名、
建速須佐之男命
須佐二字以音。
右件八十禍津日神以下、
速須佐之男命以前、
十四柱神者
因滌御身所生者也。
此時伊邪那伎命、
大歡喜詔
「吾者生生子而、
於生終得三貴子。」
卽其御頸珠之玉緖母由良邇
此四字以音、下效此
取由良迦志而
賜天照大御神而詔之
「汝命者、
所知高天原矣。」
事依而賜也。
故其御頸珠名、
謂御倉板擧之神
訓板擧云多那。
次詔月讀命
「汝命者、
所知夜之食國矣。」
事依也
訓食云袁須。
次詔建速須佐之男命
「汝命者、
所知海原矣。」
事依也。
故、各隨依賜之命
所知看之中、
速須佐之男命、
不知所命之國而、
八拳須至于心前、
啼伊佐知伎也
自伊下四字以音、下效此。
其泣狀者、
青山如枯山泣枯、
河海者悉泣乾。
是以惡神之音、
如狹蠅皆滿、
萬物之妖悉發。
故、伊邪那岐大御神、
詔速須佐之男命
「何由以、
汝不治所事依之國而、
哭伊佐知流。」
爾答白
「僕者欲罷妣國根之堅洲國、
故哭。」
爾伊邪那岐大御神大忿怒詔
「然者汝不可住此國。」
乃神夜良比爾夜良比賜也
自夜以下七字以音。
故、其伊邪那岐大神者、
坐淡海之多賀也。
こうして、伊邪那岐大神は「わたしはこれまでひどく醜い穢れた國に行ってしまったものだ。ゆえに私は身體を祓い淸めよう」と言われて、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原にお行きになって禊ぎ祓いをされました。
そこで、投げ棄てた御杖から現れた神の名を衝立船戶の神といいます。
次に、投げ棄てた御帶から現れた神の名を道之長乳齒の神といいます。
次に、投げ棄てた御嚢から現れた神の名を時量師の神といいます。
次に、投げ棄てた御衣から現れた神の名を和豆良比能宇斯の神といいます。
次に、投げ棄てた御褌から現れた神の名を道俣の神といいます。
次に、投げ棄てた御冠から現れた神の名を飽咋の宇斯の神といいます。
次に、投げ棄てた左の御手の手纒から現れた神の名を奧疎の神といいます。さらに、奧津那藝佐毗古の神、またさらに、奧津奧津甲斐辯羅の神が現れてました。
次に、投げ棄てた右の御手の手纒から現れた神の名を邊疎の神といいます。さらに、 邊津那藝佐毗古の神、またさらに、邊津甲斐辯羅の神が現れました。
右の件(ここまで)、船戶の神から、邊津甲斐辯羅の神までの十二柱の神は、伊邪那岐大神が身に著けていたものを脫ぎ捨てたことから現れた(生まれた)神です。
そして、伊邪那岐大神は、「上の瀨は流れが速い、下の瀨は流れが弱い」と言って、初めて中程の瀨に降りて潛り、その身體を濯がれた時に現れた神の名を八十禍津日の神といいます。さらに大禍津日の神が現れました。この二柱の神は、かの醜く穢れた國に行った時の穢れから現れた神です。
次に、その禍を直そうとして現れた神の名は神直毗の神といいます。さらに、大直毗の神、またさらに、伊豆能賣の神が現れました。
次に、水の底で身體を濯がれた時に現れた神の名を底津綿津見の神といいます。さらに、底筒之男命が現れました。
水の中程で身體を濯がれた時に現れた神の名を中津綿津見の神といいます。さらに中筒之男命が現れました。
水面近くで身體を濯がれた時に現れた神の名を上津綿津見の神といいます。さらに、上筒之男命が現れました。
この三柱の綿津見の神は、阿曇連たちが祖先の神として大切に祀る神です。つまり、阿曇連たちは、綿津見の神の子、宇都志日金拆命の子孫です。そして底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神です。
そして、左の目を洗った時に現れた神の名を天照大御神といいます。
次に、右の目を洗った時に現れた神の名を月讀命といいます。
次に、鼻を洗った時に現れた神の名を建速須佐之男命といいます。
右の件(ここまで)、八十禍津日の神から、速須佐之男命まで、十四柱の神は、伊邪那岐大神が身體をお濯ぎになったことから現れた(生まれた)神です。
この時、伊邪那岐命は大いに喜んで、「私は子を生みに生んで、最後に三柱の貴い子たちを得ることができた」と言われて、すぐにその首飾りの玉の緖を、手に取ってゆらゆらと搖らして音を鳴らしながら天照大御神に授け、「あなたは高天原を統治するように」と委任されました。それで、その首飾りの名は御倉板擧の神といいます。次に、月讀命に、「あなたは、夜之食國を統治するように」と委任されました。次に、建速須佐之男命に「あなたは、海原を統治するように」と委任されました。
そこで、それぞれの神が伊邪那岐命に委任された國を言われたとおりに治める中で、速須佐之男命は委任された國を治めずに、長い顎髭が胷元に屆くまで激しく泣いていた。
その泣く樣子は、靑々とした山を枯れ木の山のように泣き枯らし、河や海はことごとく泣き乾した。これにより、惡しき神の聲は蠅のように滿ちて、妖鬼によるありとあらゆる災いが起こった。
そこで、伊邪那岐の大御神は、須佐之男命に、「なぜお前は、私が委任した國を治めもせずに泣き喚いているのか」とお訊ねになると、須佐之男命は「私は母のいる國である、根之堅洲國に參りたいと思っています。だから泣いているのです。」とお答えになりました。
すると、伊邪那岐の大御神はたいへんお怒りになって、「ならば、お前はこの國に住んではならない」と言われ、ただちに須佐之男命を追放されました。そして、その伊邪那岐の大神は近江の多賀に鎭座されました。
スサノオは與えられた海の國を統治することを拒んでイザナミのいる根の堅洲國に行きたいと言う。根の堅洲國は地下の國であり「イザナミがいる國」を指しているところをみるとイザナギが逃げ出した黃泉の國である。
怒ったイザナギはスサノオを追放し多賀(滋賀縣犬上郡)に引退する。イザナギの話はここで終わり、古事記では次はスサノオとアマテラスの話となる。