古事記 上巻 伊邪那岐命と伊邪那美命(三)

 古事記の伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことの二神のお話で黃泉の國の場面の最後。
伊邪那美命の死後、伊邪那岐命は伊邪那美命を連れ戾すために黃泉よみの國を訪れる。しかし、伊邪那岐命はわり果てた伊邪那美命の姿を見て逃げ出す。伊邪那美命は恥をかかされたことを恨んで伊邪那岐命に追手を差し向ける。伊邪那岐命はなんとかそれを振りはらい黃泉の國とこの世の境にある黃泉比良坂よもつひらさかまで逃げて來た。

最後いやはてに其妹伊邪那美命そのいもいざなみのみこと身自追來焉みみずからおひきましき爾千引石引塞其黃泉比良坂すなはちちびきいはをそのよもつひらさかにひきさへて其石置中そのいはをなかにおきて各對立而度事戸之時あひむきたたしてことどをわたすときに伊邪那美命言いざなみのみことのまをしたまはく
愛我那勢命うつくしきあがなせのみこと爲如此者かくしたまはば汝國之人草みましのくにのひとくさ一日絞殺千頭ひとひにちかしらくびりころさむ。」
爾伊邪那岐命詔ここにいざなぎのみことのりたまはく
愛我那邇妹命うつくしきあがなにものみこと汝爲然者みまししかしたまはば吾一日立千五百產屋あれはやひとひにちいほうぶやたてん。」
是以ここをもちて一日必千人死ひとひにかならずちひとしに一日必千五百人生也ひとひにかならずちいほひとなもうまるるかれ號其伊邪那美神命そのいざなみのみことを謂黃泉津大神よもつおほかみとまをす亦云またいへり以其追斯伎斯かのおひしきしによりて 此三字以音このみもじこえをもちう 而、號道敷大神ちしきのおほかみとまをす亦所塞其黃泉坂之石者またそのよみのさかにさやれしいはは號道反大神ちがへしのおほかみとまをし亦謂塞坐黃泉戸大神さやりますよみどのおほかみともまをすかれ其所謂黃泉比良坂者そのいはゆるよもつひらさかは今謂出雲國之伊賦夜坂也いまいずものくにのいふやざかとなもいふ

 最後に、伊邪那美命自身が追って釆た。そこで伊邪那岐命は千引石ちびきのいわ(干人で引かなければ動かないような大岩)で黃泉比良坂よもつひらさかを塞いだ。その岩のりょう側で二人(二神)が向き合って離別を言い渡すときに、伊邪那美命は「愛するわが夫のみことが、こんなことをなさるのなら、あなたの國の人々を、一日に千人締め殺しましょう」と言った。すると、伊邪那岐命は「愛するわが妻の命よ、あなたがそうするのであれば、私は一日に千五百の產屋うぶやを建てるでしょう」と仰った。
こういうわけで、一日に必ず千人の人が死に、一日に必ず千五百人の人が生まれるのである。
ゆえに、その伊邪那美命を黃泉津大神よもつおおかみという。また伊邪那岐命に追いついたので、道敷ちしき大神おおかみともいう。
また黃泉の坂を塞いだ岩は、道反ちがえしの大神(追い返しの大神)と名づけ、また黃泉國の入口を塞いでいるので黃泉戶よみどの大神ともいう。そして、そのいわゆる黃泉比良坂は、今の出雲國の伊賦夜坂いふやざかという坂である。

※ 島根縣松江市立揖屋小學校から東に四百メートルほどのところにある。

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 事戶ことどわたすというのが離緣するということなのだが、世界で最初の協議離婚で決著した話が「每日いっぱい死なす」「いいよ、もっとたくさん生まれさせるから」と、いうのだからさすがは神樣、凄い話ではある。

 ところで、何で「死なす」「生まれさす」と言っただけでそうなるかというと、良いことでも惡いことでも喋ったことが現實げんじつになるという日本どく特の「言靈ことだま」のせい。言靈の實現じつげん力のスケールは神と人閒では差があるかもしれないが、そうだとしても言靈は神樣の專賣特許ではない。
人閒一人では神のように千人單位をどうこうは無理としても、せめて「私達(夫婦)は私達の子供三人を育てるだろう」くらいの言靈を使わせて貰いましょうか。