古事記 下巻 第三十一代 用明天皇

橘豐日命たちばなのとよひのみこと坐池邊宮いけへのみやにまし治天下參歲あめのしたをおさめたまふことみとせ此天皇このすめらみこと娶稻目宿禰大臣之女いなめのすくねのおほおみのむすめ意冨藝多志比賣おふぎたしひめをめあはし生御子あれましみこ多米王ためのみこ一柱ひとはしら 又娶庻妹間人宂太部王またままいものはしひとのあなほべのみこをめあはし生御子あれましみこ上宮之厩戸豐聰耳命かみつみやのうまやとのとよとみみのみことつぎに久米王くめのみこつぎに植栗王えくりのみこつぎに茨田王まんたのみこ四柱よはしら 又娶當麻之倉首比呂之女またたいまのくらのおびとひろのむすめ飯女之子いいのこをめあはし生御子あれましみこ當麻王たいまのみこつぎに妹須加志呂古郎女いもすがしろこのいらつめ
此天皇このすめらみこと御陵在石寸掖上みささぎいわれのわきがみにあり後遷科長中陵也のちにしながのなかのみささぎにうつすなり

橘豐日命たちばなのとよひのみこと、第三十一代用明天皇ようめいてんのうは、池邊宮いけへのみやで天下を三年閒治められました。
この天皇は、稻目宿禰大臣いなめのすくねのおほおみの娘、意冨藝多志比賣おふぎたしひめを娶られて、生まれた御子は、多米王ためのみこの一柱です。
また、異母妹の閒人宂太部王はしひとのあなほべのみこを娶り、生まれた御子は、上宮之厩戶豐聰耳命かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと、次に、久米王くめのみこ、次に、植栗王えくりのみこ、次に、茨田王まんたのみこの四柱です。
また、當麻之倉首比呂たいまのくらのおびとひろの娘、飯女之子いいのこを娶り、生まれた御子は、當麻王たいまのみこ、 次に、妹の須加志呂古郞女いもすがしろこのいらつめです。
この天皇の御陵は石寸掖上いわれのわきがみにあったのを、 後に科長中陵也しながのなかのみささぎに移しました。

上宮之厩戶豐聰耳命かみつみやのうまやとのとよとみみのみことは聖德太子のことです。

河内磯長原陵こうちのしながのはらのみささぎ春日向山かすがむかいやま古墳)