沼名倉太玉敷命、
坐他田宮、
治天下壹拾肆歲也。
此天皇、
娶庻妹豐御食炊屋比賣命、
生御子、
靜貝王、
亦名貝鮹王、
次、竹田王、
亦名小貝王、
次、小治田王、
次、葛城王、
次、宇毛理王、
次、小張王、
次、多米王、
次、櫻井玄王。
八柱
又娶伊勢大鹿首之女、
小熊子郎女、
生御子、
布斗比賣命、
次、寶王、
亦名糠代比賣王。
二柱
又娶息長眞手王之女、
比呂比賣命、
生御子、
忍坂日子人太子、
亦名麻呂古王、
次、坂騰王、
次、宇遲王。
三柱
又娶春日中若子之女、
老女子郎女、
生御子、
難波王、
次、桑田王、
次、春日王、
次、大股王。
四柱。
此天皇之御子等、
幷十七王之中、
日子人太子、
娶庻妹田村王、
亦名糠代比賣命、
生御子、
坐岡本宮治天下之天皇、
次、中津王、
次、多良王。
三柱
又娶漢王之妹、
大股王、
生御子、
智奴王、
次、妹桑田王。
二柱
又娶庻妹玄王、
生御子、
山代王、
次、笠縫王。
二柱
幷七王。
御陵在川內科長也。
沼名倉太玉敷命、第三十代敏達天皇は他田宮で十四年天下を治められました。
敏達天皇は異母妹の豐御食炊屋比賣命推古天皇のことを娶られ、生まれた御子は靜貝王、
またの名を貝鮹王聖德太子の妃になります、
次に竹田王、
またの名を小貝王、
次に小治田王、
次に葛城王、
次に宇毛理王、
次に小張王、
次に多米王舒明天皇の妃になります、
次に櫻井玄王の八柱です。
また、伊勢大鹿首の娘、
小熊子郞女を娶られ、生まれた御子は
布斗比賣命、
次に寶王、
またの名を糠代比賣王の二柱です。
また、息長眞手王の娘、
比呂比賣命を娶られ、生まれた御子は
忍坂日子人太子、
またの名を麻呂古王、
次に坂騰王、
次に宇遲王の三柱です。
また、春日中若子の娘、
老女子郞女を娶られて、生まれた御子は
難波王、
次に桑田王、
次に春日王、
次に大股王の四柱です。
敏達天皇の御子達の合わせて十七柱の中で、日子人太子この太子は天皇にはなりませんでしたが、
異母妹の田村王、
またの名を糠代比賣命を娶られ、生まれた御子は
岡本宮で天下を治められた第三十四代舒明天皇です。
次に中津王、
次に多良王の三柱です。
また、漢王の妹、
大股王を娶られ、生まれた御子は
智奴王、
次に妹の桑田王の二柱です。
また、異母妹の玄王を娶られて、生まれた御子は
山代王、
次に笠縫王の二柱、合わせて七柱です。
御陵は川內科長にあります。
糠代比賣王は敏達天皇の妃として、敏達天皇の子供の日子人太子の妃として二囘登場するが、それは同一人物なのか、またの名ではない方の名が寶王と田村王なので別人なのか、よく判らない。
また、桑田王も敏達天皇の子供として、日子人太子の子供として二囘登場するので混亂する。
河内磯長中尾陵(
太子西山古墳)