古事記 下巻 第二十八代 宣化天皇

建小廣國押楯命たけおひろくにおしたてのみこと坐檜坰之廬入野宮ひのくまのいほりののみやにまし治天下也あめのしたをおさめたまふなり天皇すめらみこと娶意冨祁天皇之御子おほけのすめらみことのみこ橘之中比賣命たちばなのなかつひめとはあはせ生御子あれましみこ石比賣命いわひめのみこと 訓石如石いしをよみていわのごとし下效此しもつかたはこれにならふつぎに小石比賣命おいわひめのみことつぎに倉之若江王くらのわかえのみこ又娶川內之若子比賣またかはちのわくごひめとめあはし生御子あれましみこ火穗王ほのほのみこつぎに惠波王ゑはのみこ此天皇之御子等このすめらみことのみこら幷五王あはせていつはしら男三をのこみつはしら女二をみなふたはしら ゆへに火穗王者ほのほのみこ志比陀君之祖しいだのきみのおやなり 惠波王者ゑはのみこは韋那君ゐなのきみ多治比君之祖也たじひのきみのおやなり

建小廣國押楯命たけおひろくにおしたてのみこと、第二十八代宣化天皇せんかてんのう檜坰之廬入野宮ひのくまのいほりののみやで天下を治められました。
宣化天皇は意冨祁天皇おほけのすめらみことの御子の 橘之中比賣命たちばなのなかつひめを娶られ、生まれた御子は、 石比賣命いわひめのみこと、 次に小石比賣命おいわひめのみこと、 次に倉之若江王くらのわかえのみこです。
また、川內之若子比賣かはちのわくごひめを娶られて、生まれた御子は、 火穗王ほのほのみこ、 次に惠波王ゑはのみこです。
この天皇の御子は男三柱、女二柱の合わせて五柱です。
そして、火穗王者ほのほのみこは、志比陀君しいだのきみの祖先です。惠波王ゑはのみこは、韋那君ゐなのきみ多治比君たじひのきみの祖先です。

身狹桃花鳥坂上陵むさのつきさかのえのみささぎ鳥屋とりやミサンザイ古墳)