古事記 下巻 第十八代 反正天皇

水齒別命みずはわけのみこと坐多治比之柴垣宮たじひのしばかきのみやにまし治天下也あめのしたをおさめたまふなり此天皇このすめらみこと御身之長おんみのちょう九尺二寸半ここのさかあまりふたきいつきだ御齒長一寸廣二分みはちょうひときひろふたきだ上下等齊うへしたひとしくととのいて既如貫珠すでにかんじゅのごとし天皇すめらみこと娶丸邇之許碁登臣之女わにのこごとのおみのむすめ都怒郎女つののいらつめをめあはし生御子あれましみこ甲斐郎女かいのいらつめつぎに都夫良郎女つぶらのいらつめ二柱ふたはしら 又娶同臣之女またおなじおみのむすめ弟比賣おとひめをめあはし生御子あれましみこ財王たからのみこつぎに多訶辨郎女たかべのいらつめ幷四王也あはせてよつみこなり天皇之御年すめらみことおんとし陸拾歲むそち御陵在毛受野也みささぎもずのにあるなり

水齒別命みずはわけのみこと、第十八代反正天皇はんぜいてんのう多治比之柴垣宮たじひのしばかきのみやで天下を治められました。
この天皇は身長が九尺二寸半あり、齒の長さが一寸、幅が二分で上下等しく整っていて紐で連ねた眞珠のようです。
反正天皇は丸邇之許碁登臣わにのこごとのおみの娘の 都怒郞女つののいらつめを娶り、生まれた御子は 甲斐郞女かいのいらつめ、 次に都夫良郞女つぶらのいらつめの二柱です。
また、同じく丸邇之許碁登臣の娘で都夫良郞女の妹の姬を娶り、生まれた御子は 財王たからのみこ、次に 多訶辨郞女たかべのいらつめで、合わせて四人の御子です。
反正天皇は六十歲で崩御されました。御陵は毛受野もずのにあります。

ここで書かれている尺は現在使われる唐尺の約三十cmとすると身長が二百七十四糎という非現實的な高さとなる。身體尺で十八糎程度であるとすると身長が百七〇糎程度になる。昔の人としては高い方であろうかと思われる。すると齒の長さは二糎、幅が四mmとなる。
細かい數字が書かれているが、背が高くて齒竝びが良かった程度に讀むのが良さそうです。

百舌鳥耳原北陵もずのみみはらのきたのみささぎ