女王國東渡海千餘里、 復有國、 皆倭種、 又有侏儒國、 在其南人長三四尺、 去女王四千餘里、 又有裸國、 黑齒國復在其東南、 船行一年可至。 參問倭地、 絕在海中洲島之上、 或絕或連、 周旋可五千餘里。
景初二年六月、 倭女王遣大夫難升米等詣郡、 求詣天子朝獻、 太守劉夏遣吏將送詣京都。 其年十二月、 詔書報倭女王
曰
「制詔親魏倭王卑彌呼、 帶方太守劉夏遣使 送汝大夫難升米次使都巿牛利、 奉汝所獻男生口四人、 女生口六人、 班布二匹二丈、 以到。 汝所在踰遠、 乃遣使貢獻、 是汝之忠孝、 我甚哀汝。 今以汝爲親魏倭王、 假金印紫綬、 裝封付帶方太守假授。 汝其綏撫種人、 勉爲孝順。 汝來使難升米、 牛利涉遠道路勤勞、 今以難升米爲率善中郎將、 牛利爲率善校尉、 假銀印青綬、 引見勞賜遣還。 今以絳地交龍錦五匹
臣松之以爲地應爲綈、 漢文帝著皂衣謂之弋綈是也。 此字不體、 非魏朝之失、 則傳寫者誤也。
絳地縐粟罽十張、 蒨絳五十匹、 紺青五十匹、 荅汝所獻貢直。 又特賜汝紺地句文錦三匹、 細班華罽五張、 白絹五十匹、 金八兩、 五尺刀二口、 銅鏡百枚、 眞珠、 鈆丹各五十斤、 皆裝封付難升米牛利、 還到錄受。 悉可以示汝國中人、 使知國家哀汝、 故鄭重賜汝好物也。」
その國はもともとは男性を王としていた。七、八十年は爭いは止まっていたが、やがて倭國は戰亂の世となった。何年も攻擊しあった後、共同で一人の女性を王に立てた。 名前を卑彌呼という。鬼道を使って、大衆を巧みに導いた。旣に歲をとっていて夫は持っていない。弟がいて國を治めるのを補助した。王となってから見た人は少ない。お付きの召し使いの女性が千人いる。男性が一人だけいて女王の食事を給し、言葉を傳えるために出入りしている。 住んでいる宮殿は物見櫓や柵によって嚴重に守られていて、いつも人がいて兵士が警護している。
女王の國より東に千里あまり海を渡る。また國があるが、人種は倭人ではあっても別の文化である。 また、侏儒國がある。その南にあり何がどこから?、住んでいる人たちの身長が三〜四尺である。女王國を離れて四千里あまり。 また、裸國、黑齒國がある。また、そのどこ?東南にあって船で一年ほどで到著する。 倭の地を訪れて調べたところ、大陸から離れた海の中に存在し、島が點在したり列島であったりするところをぐるっと周ると五千里あまりである。
景初二年西曆二三八年六月、倭國の女王は大夫の難升米らを使者として帶方郡に派遣して、魏の第二代皇帝曹叡明帝に朝見拜謁と朝獻貢ぎ物を送るすることを願い出た。
帶方郡の太守の劉夏は官吏を派遣し魏の都の洛陽まで倭國の使者を連れて行った。
その年の一二月、明帝からの詔書を倭國の女王に送った。
それによると、
「親魏倭王の卑彌呼に詔を告げる。帶方郡太守の劉夏は使者を帝である私、曹叡に派遣し、あなたの大夫である難升米と副使の都市牛利を送ってきた。
あなたの獻上品である男性奴隸四人と女性奴隸六人と織物二匹二丈一匹は二反、一丈は一.八米が到著したので受け取った。あなたの國は遙か遠くであるが使者を送り貢獻してくれた。これをあなたの忠孝と受け止め私はあなたの義をいたく感じ入っている。
この度、あなたを親魏倭王に認定し、金印紫綬を與える。包裝して封をして帶方郡太守に託した。あなたはそれを受取り、あなたの種族國の民をいたわり、今後とも魏によく仕えなさい。
あなたの命令により使者の難升米と牛利が洛陽までやって來た。遠路はるばる苦勞をよく勤めた。この度、難升米に率善中郞將、牛利に率善校尉の官職を與える。銀印靑綬を與えて對面で勞をねぎらって倭國に歸らせる。
このたび、絳地の交龍錦五匹(この注を書いている私、)裴松之が思いますには、「地」は「綈」にするべきです。漢の文帝が「皁衣」を著たのを
「弋綈」ということであります。この不適切な字は魏朝の明帝の部下が倭國の使者に渡した詔を書き誤ったのではなくて書き寫す者が閒違ったものです。
絳地赤地の縐粟罽を十張、蒨絳五十匹、紺靑五十匹をもって、あなたの貢物への返禮品とする。
また、特別に、あなたに紺地の句文錦を三匹
、細班華罽を五張、白絹を五十匹、金を八兩、五尺刀を二口、銅鏡を百枚、眞珠と鉛丹赤色の顏料をそれぞれ五十斤をあたえます。
すべて包裝して封印し難升米たちに持たせます。彼らが倭國のあなたの元に歸り著いたら記錄して受け取り、すべてをあなたの國中の人に示すことで、我が國魏國があなたを大切に思うことを知らしめなさい。
だからこそ、あなたに良い物を丁重に送るのです。」
女王の國から東實際には南?に海を渡って侏儒國、裸國、黑齒國について書かれている段落は前後と噛み合わず出鱈目に插入したようで唐突な印象を受ける。帶方郡から日本に渡るところでは朝鮮半島の西側と南側で七千里餘りと書かれていて、倭國の周りをぐるっと巡って五千里では倭國はかなり小さいということになる。四國か九州程度という認識なのか?
そうなるとこの段落だけは邪馬臺國九州說の方が合うのではないかと思われる。そうであれば女王の國から千里ほど海を渡れば沖繩であるし、船で一年も行けばフィリピン、インドネシア、オセアニアにも辿り著けるであろう。突然出てきたコロポックルを連想させる小人の國には困らされるが。
ちなみに、韓から三國時代の一尺が二十三、四糎なので四尺でも一米に滿たず現在の日本人でいえば二歲兒程度の身長ということになる。
貢物・返禮品に登場する匹(疋)は反物著物の生地で使用する單位。一匹は二反。一反は三十六糎×二十二米程度。