弁辰亦十二國、 又有諸小別邑、 各有渠帥、 大者名臣智、 其次有險側、 次有樊濊、 次有殺奚、 次有邑借。
有已柢國、 不斯國、 弁辰彌離彌凍國、 弁辰接塗國、 勤耆國、 難彌離彌凍國、 弁辰古資彌凍國、 弁辰古淳是國、 冉奚國、 弁辰半路國、 弁樂奴國、 軍彌國、 弁軍彌國、 弁辰彌烏邪馬國、 如湛國、 弁辰甘路國、 戶路國、 州鮮國、 馬延國、 弁辰狗邪國、 弁辰走漕馬國、 弁辰安邪國、 馬延國、 弁辰瀆盧國、 斯盧國、 優由國。 弁、 辰韓合二十四國、 大國四五千家、 小國六七百家、 總四五萬戶。 其十二國屬辰王。 辰王常用馬韓人作之、 世世相繼。 辰王不得自立爲王。
魏略曰
明其爲流移之人、 故爲馬韓所制。
土地肥美、 宜種五穀及稻、 曉蠶桑、 作縑布、 乘駕牛馬。 嫁娶禮俗、 男女有別。 以大鳥羽送死、 其意欲使死者飛揚。
魏略曰
其國作屋、 橫累木爲之、 有似牢獄也。
國出鐵、 韓、 濊、 倭皆從取之。 諸巿買皆用鐵、 如中國用錢、 又以供給二郡。 俗喜歌舞飲酒。 有瑟、 其形似筑、 彈之亦有音曲。 兒生、 便以石厭其頭、 欲其褊。 今辰韓人皆褊頭。 男女近倭、 亦文身。 便步戰、 兵仗與馬韓同。 其俗、 行者相逢、 皆住讓路。
弁辰與辰韓雜居、 亦有城郭。 衣服居處與辰韓同。 言語法俗相似、 祠祭鬼神有異、 施竃皆在戶西。 其瀆盧國與倭接界。 十二國亦有王、 其人形皆大。 衣服絜清、 長髮。 亦作廣幅細布。 法俗特嚴峻。
辰韓は馬韓の東にある。
辰韓の耆老長老は國の長として代々傳えてきた。
自らを昔の亡命者であると言う。
中國の秦戰いから逃げて韓國に來たのである。
馬韓はその東の國境の土地を亡命者に分讓した。
辰韓には城柵がある。
辰韓の言語は馬韓とは違う。
「國」を名付けて「邦」とし、「弓」を「弧」とし、「賊」を「寇」とし、「行酒」を「行觴觴は盃のこと」とする。
お互いに呼んで「皆」を「徒」とし、秦の人に似たところがある。
ただ、燕・齊の物への名前の付け方をそのまま行っているのではないのである。
「樂浪人」を「阿殘」とするのは、東方人辰韓の人は「我」を「阿」として、樂浪人は元はその殘餘人一緖に樂浪から辰韓に逃げず、樂浪に殘った人なので「私達の殘った人」の意味で「阿殘」だからである。
今はこれ秦から辰韓に逃れた人を秦韓者と呼ぶ人がいる。
辰韓は最初は六國があったが次第に分かれて十二國となる。
弁辰弁韓もまた十二國で、さらに諸々の小さな別邑別の村がある。
それぞれの國に國の指導者である渠帥居西干か?がいて、
偉い人は階位名を臣智とし、
その次に險側、
次に、樊濊、
次に、殺奚、
次に、邑借がある。
已柢國、
不斯國、
弁辰彌離彌凍國、
弁辰接塗國、
勤耆國、
難彌離彌凍國、
弁辰古資彌凍國、
弁辰古淳是國、
冉奚國、
弁辰半路國、
弁樂奴國、
軍彌國、
弁軍彌國、
弁辰彌烏邪馬國、
如湛國、
弁辰甘路國、
戶路國、
州鮮國、
馬延國、
弁辰狗邪國、
弁辰走漕馬國、
弁辰安邪國、
馬延國重複、
弁辰瀆盧國、
斯盧國、
優由國がある。
弁韓と辰韓で合わせて二十四國ある。
大國は四五千戶、小國は六七百戶で、すべて合わせると四あるいは五萬戶ある。
その十二國は辰王に屬し、辰王は常に馬韓人を登用してこれを爲して何を?代々王を繼いだ。辰王は自主的に王に卽位することができなかった。
魏畧によると
あきらかにそれは流れ移る人を發生させるので、だから馬韓が制しているのである。意味不明
土地はよく肥えていて、穀物五種と稻を植え、天蠶を知り固織の絹布を作る。牛馬に乘ったり曳かせたりする。嫁取りの禮俗には男女の別がある。
大きな鳥の羽を使って死者を送る。その意味は死者を飛揚させることにある。
魏畧によると
その國の建物を作る方法は木を橫に積み上げる。そのため入り口や窗が橫に無くてまるで牢獄の樣になるのだ。
辰韓の國からは鐵が產出される朝鮮半島の東南岸の地域。韓・濊・倭はみなこの鐵を採る。諸々のせりや買い物で支拂いに鐵を使うのは中國で錢を使うようなものだ。また、この鐵を帶方郡と樂浪郡の二郡にも供給している。
その風俗は、歌・踊り・飮酒を喜ぶ。
瑟大型の琴があり、その形は筑小型の琴のような形の樂器。音階の調節の手は琴と同じだが、もう片方の手は棒を持って叩いて演奏するに似ている。これを彈くための音曲もある。
赤ん坊が生まれるとすぐに石で頭を押さえてそれを狹く細くしようとする。
そのため、今辰韓の人はみな頭がせまい。
男女ともに倭人に近く、倭人と同じように入れ墨をする。
また、步戰し、武器は馬韓と同じである。
その風俗は、道ですれ違うとき皆立ち止まって道を讓る。
ここから弁辰弁韓について。
弁辰と辰韓は雜居していてはっきりした國境もなく互いに入り組んでいたらしい。、城郭がある。
弁辰の衣服や住むところは辰韓と同じである。
言語や法俗も辰韓に似ている。司祭や鬼神に違いがある。竈を作るのは皆家の西側である。
弁辰の瀆盧國は倭と境界を接している。
弁辰の十二國にはまた王がいる。その容姿はみな大きい。衣服は淸潔で廣い幅の細布麻織物を作る。法俗は特に嚴しい。
官位名、國名は讀み方がわからないため基本的に漢音(ただし日本式發音)を當てた。
辰韓と弁韓は全く別の場所にそれぞれ國があったということではなく、朝鮮半島の南東部に辰韓と弁韓の二四國が入り混じって國を作っていたらしい。ここには書かれていないが弁韓は半島南部の中央で特に勢力を伸ばしたようである。
大體同じ地域であるので風俗としては辰韓と弁韓は似たもので、信仰のようなものが違うということらしい。
弁韓の特定の一國(瀆盧國)が倭國と境界を接していたということなので、少なくとも朝鮮半島の南岸東半分の何處かに倭國が進出して領土を持っていたことがわかる。